ハナクソと呼ばれた猫のはなし。

ハナクソという名の猫の話
知り合いのライブの帰りに仔猫の写真を撮った。
仔猫をみてあの日のことを思い出した。


*****
眠っている私のすぐ耳元で鳴いてるかのような仔猫の鳴き声がした。
五月蝿い。目を開けると私は自分の部屋で眠っていて、もちろん枕元に仔猫なんていなかった。

頭の上にある大きな窓の外はまだ薄暗く、今が夜明け前と寝ぼけた頭でもわかった。
あともう少し眠れるはずだと目を閉じてみたけど、やっぱり鳴き続ける仔猫の声が耳についてまったく眠ることができなかった。この鳴きやまない猫の声のことを同じ屋根の下にいる家族も悩ましく思っているだろう。
眠ることを諦めた私は身体を起こし、この鳴き声のことを話そうと朝支度で早起きをしている母のいるリビングへむかった。

リビングにはいつも通り忙しく朝ごはんや子どもたちのお弁当を作る母がいた。

「あら?どうしたの?今日はやけに早いのね。」
少し驚きつつ母が私に朝のあいさつしている。
「猫の・・・仔猫の鳴き声がうるさくて寝てられなかったから。」
眠そうに答えた私の言葉に母は不思議そうな顔をした。
「猫?猫なんて鳴いてないわよ?うちには仔猫もいないし、あなた夢でも見たんじゃない?」
母はいつもと変わらない感じでそう言いながら、香りのいい湯気が立ちのぼるコーヒーを私に差し出した。昨日の町内会の噂話やテレビのドラマ続きなど、たわいもない話をしている母の向こう側で、やっぱり仔猫はずっと鳴いている…。それもうるさいほどに。

(え?今も鳴いてるんだけど?お母さんには聞こえてない……?)
そう言いかけたけど少し気難しいところのある母が今日は朝から機嫌がいいのに、これ以上この話を続けて母の雲行きが怪しくなるのは避けた方がいい気がした。

「うん、そうかも。夢の中のことだったのかも知れないね…」
そう言葉を濁しながら私は淹れたての熱いコーヒーを口に含んだ。

それにしても仔猫がずっと鳴いてるのに母には聞こえていなかった。
あとから起きてきた父親も猫の鳴き声については何も触れない。妹に至ってはまだ眠っている。この仔猫の大きな鳴き声は私だけに聞こえてる…?そんな不思議な話があるものかな。

とにかく私はこの鳴き声が気になって仕方がなかった。そして朝食もそこそこに母には急いで学校に行く用事があるからと告げ、鳴き声の居所を突き止めにいくことにした。

「いってきます!」
1階の部屋をでると共有廊下がある。廊下を進むとエントランスからそのまま表通りに出られる。でもこの鳴き声は表通りからじゃなく、この建物の何処かからだ。ペットOKのこのマンションなら猫の鳴き声がしても特に可笑しい話ではないのだけど、それにしても鳴き声が大きすぎる。どこかの部屋から聞こえてる音量じゃなかった。

私は足早に鳴き声のする方に歩く。見慣れたマンション内の風景が続く。少し進むたびに声が大きくなる。
部屋からそんな遠くない場所に鳴き声の出処と思しき場所があった。それは廊下の途中にある鉄製の赤茶色の扉の前だった。
鳴き声がこれ以上無いという大きさで私に呼びかけてる。声の主はここに居る。確信した私は重い鉄製の扉を開けた。
扉の向こうは真っ暗な空間でガスや水道なんかのメーターがいくつもあって、その下の小さな隙間に鳴き声の主の仔猫はいた。

暗闇の中でホコリまみれのタバコの箱ほどしかない仔猫がこれでもかと力強く鳴いていた。
(みつけた!)心のなかでそうつぶやいて、私は小さな仔猫を暗闇から持ち上げる。茶色い斑目模様と鼻の下の大きな黒いブチをみて思わずハナクソ模様だと思った。

「朝からずっと私を呼んでいたのはアナタかい?ハナクソ猫。」
「うちの子になりたいの?今日はめずらしく母さんの機嫌がいいから頼みやすいわ。一緒においで、仲間がいるよ。」
仔猫にそう話かけて私はさっき出かけたばかりの家へと戻った。

その後、ハナクソという名にしようという私の提案をよそに彼女は別のかわいらしい名前になった。
そして20年たった今でも実家の母の膝の上が定位置でとても愛されている。

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